ボランティアでいいのか?

私は現在、日本語教育のボランティア活動に関わっています。
活動を通して感じるのは、ボランティアという仕組みの価値です。
社会のために時間や知識を提供する行為は、とても尊いものだし、必要なことだと思います。

一方で、少し構造的に考えることもあります。

日本社会には昔から「お互い様」「助け合い」という文化があります。

地域の多くの社会活動は無償の助け合いによって支えられてきました。

この文化は、日本の強さでもあり、誇りとすべき文化です。

ただ現代社会では、少し方向性が変わってきているのではないかと感じています。

教育、公共福祉、災害対策など、本来は継続性や専門性が求められる分野や、公共性や社会性が必要な分野まで、「ボランティアありき」で成り立っているケースがないですか?

企業や行政から見ればコストがかけられない構造があるのかもしれません。
しかし社会全体で見れば、それは「人材の機会損失」になっている可能性もあります。

多くの社会活動は価値を生んでいるにも関わらず、GDPとして経済的価値としては可視化されていません。
しかし、ボランティア活動の多くはこの経済活動の中に含まれていないのです。

つまり、社会に需要な価値を生んでいても、経済としては存在していないことになるのです。

これから日本は人口減少と人材不足の時代に入ります。
その中で重要になるのは、

「助け合い精神に頼る」だけでなく、「社会活動をどのように人材設計していくか」

という視点だと思います。

例えば、

・専門性が必要な領域は仕事として設計する
・人材育成の仕組みをつくる
・活動を支える人材のキャリアパスを作る
・DXによって活動の効率化や可視化を進める

DXを活用すれば、

・学習支援のデータ共有
・ボランティア活動のマッチング
・活動成果の可視化
・教育コンテンツのオンライン化

などが可能になります。

こうした仕組みが整えば、限られた人材でも社会サービスを継続的に提供することができます。

結果として、

専門人材が育ち、高齢者の働く機会の創出、社会サービスの質も安定します。
そして社会全体の生産性向上、収入増にもつながります。

私自身が日本語教育のボランティアに関わっている理由は、お金でも自己実現でもありません。

日本で働き、生活している外国人の方々が、不安なく日本人と共に暮らしていける社会。
そんな「共生の社会構造づくり」に少しでも貢献したいという思いからです。

私の社会貢献活動は、心理学者のAbraham Maslowの欲求階層説でいえば、6段階(自己超越)の段階に位置づけられるのかもしれません。

ボランティアに関わる人の動機は様々です。

社会貢献、学び、地域とのつながり、専門性の活用、助け合いなど、それぞれ違います。

だからこそ、これからの日本社会では、

「助け合いの構造」から「見える価値をを正当にに評価にする構造」へ

という視点も必要なのではないかと感じています。

ボランティアは現代社会のとても大切な力です。
ただし、社会の基盤まで善意に頼るのではなく、基盤はプロフェッショナルとして設計し対価を払い、その上にボランティアが重なる社会が必要です。

そこにDXや人材設計が加わることで、持続可能な社会構造になっていくのではないでしょうか。

皆さんは、社会基盤までボランティアに頼ってしまっていませんか?

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