デジタル脳クライシスを超えて、ヒューマンクライシスへ
最近、生成AIを使っていると、自分の思考そのものに影響を与え始めているのではないかと「違和感」を感じることがあります。
生成AIは、確率的に「正しそうな答え」を提示します。
そのため私たちは、深く考えなくても「たぶん正しい!」と思ってしまいます。
良く言えば、多くの人の思考レベルが底上げされます。
これは、間違いなく良い側面です。
しかし一方で、考え方が少しずつ似通い、思考が平準化されていく可能性もあります。
ここで、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
人の人格は、ある日突然つくられるものではありません。
日々の思考、言葉、判断の積み重ねによって、少しずつ形づくられていくものだと思っています。これが、人間であるすばらしさであり、個性や人格なのだと思います。
もし、
その「日々の思考」のすぐ隣に、常に生成AIが存在するとしたらどうでしょう。
私たちの考え方や価値観は、知らないうちに生成AIに近づいていくのかもしれません。
この生成AIによる誘導は、医療への応用が可能です。
治療に不安を感じる患者に寄り添い、前向きな行動変容を支援することができます。
精神疾患の行動療法や、セルフケアの継続支援など、可能性は決して小さくありません。
これは、以前に投稿した看護DXに繋がります。
しかし、私が懸念するのは、、、
この生成AIによる誘導を、意図的に使う人が現れたとしたら、言葉の選び方や、共感の示し方、選択肢の提示によって、人の判断や行動を静かに誘導し、自分の思い通りの人間を作ってしまいかねません。
それは、技術の問題というより「人間の倫理」の問題です。
同じ仕組みでも、善にも悪にも使えてしまいます。
つまり、生成AIは、人を「操作する存在」にもなり得るし、人を「支える存在」にもなり得ます。
生成AIを使うかどうかではなく、どう使うのかです。
特に、AIネイティブ世代には、AIリテラシー教育が大切だと思います。
生成AIに、「考えさせている」のか?
それとも「考えてもらっている」のか?
この違いは、思考だけでなく、人格の方向性にまで影響していくのかもしれません。
これは、
「デジタル脳クライシス」 を超えて、 「ヒューマンクライシス」
なのではないかと。
生成AIが問題なのではなく、私たちが「考える主体」であり続けられるかだと考えます。
その考え、自分の考えですか? 生成AIに寄っていませんか?

